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長々と助六におつきあいくださってありがとうございました 私が助六を始めてみたのは昭和23年4月復興した新橋演舞場の柿落としの時でした。 前売り初日に劇場窓口に並びましたが当時はいちいち座席表を見て選ぶので行列は遅々として進みません。朝から並んでお昼頃金田中の方から白髪の老人が紋付き姿でやってきました。「あ六代目(菊五郎)だ」というささやきが聞こえます。六代目は並んでいる人に丁寧なお辞儀をして行きました。 このときは助六が菊五郎ですので清元の「助六曲輪菊(すけろくくるわのももよぐさ)」です。このときの助六の清元で六世清元延寿太夫の襲名披露がありました。そうそうもう一つ現菊五郎が禿で初舞台、劇中で菊五郎、意休の七世幸四郎、揚巻の七世宗十郎が口上を述べました。 老人トリオの助六なので当時の中学生(私)にはあまり面白くありませんでした。(六代目の助六なのにモッタイナイ) 翌24年1月は海老蔵(11世團十郎)松緑、梅幸の若手で「助六由縁江戸桜」で口上が「河東節御連中さまどうぞお始めくださりましょう」というのを聞いてすっかり夢中になりました。 だから後年河東節のお仲間に入れていただいたときはほんとうに嬉しかったです。 曽我狂言のせいか助六はお正月に上演されることが多いです。平成7年のお正月も助六でした。このときは幸四郎、染五郎がかんぺらと仙平、新之助(現海老蔵)がかつぎで親子対抗の趣がありました。そして忘れもしない17日の阪神大震災です。前日のメンバーには関西方面の方がおおく、さぞおどろかれたことでしょう。 歌舞伎座のロビーに出ている本日の出演者という看板、あれに掲げられる木札は終わるといただけます。 名古屋の御園座の時は社長がこれは尾州檜でつくりましたと自慢しました。毎度いただくのでずいぶんたまりました。いまの家に引っ越したとき表札が間に合わなかったのでしばらくアレをかけておきました。 私の持っている明治43年博文館発行の佐々醒雪著「俗曲評釈 河東節」に河東節の歴史、曲目解説とともに鏑木清方のスケッチした助六がのっています。naojiroのインチキなスケッチとはちがいます。何枚かお見せしましょう。 これは多分明治29年歌舞伎座9代目團十郎一世一代の助六で 團十郎(59)意休(四世芝翫67)揚巻(福助のちの五世歌右衛門30) だと思います。三〇歳の福助!なんか今度と似てますね。 松の刷毛先すき額 悪態のはつぅーね やぁやぁ乞食の閻魔様 こりゃウドンだぁ (naojiro模写) いつか清方展で清方の歌舞伎スケッチのスケッチブックが展示されていました、9代目團十郎と5代目菊五郎の寺子屋がありました。團十郎はれいの刀を抜いて首実検をする成田屋型の松王丸、ほれぼれするぐらいかっこいい、(最近NHKの伝統芸能鑑賞会で現團十郎がやりましたね)写真なんかよりよっぽど團十郎菊五郎の芸風が伝わってくるような気がしました。 |
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話題のキーワードでブログサーチ! 2008/01/30 18:21 |
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河東節、本当にお疲れさまでした。 |
HIDAMARI 2008/01/30 21:43 |
助六のお話、大変楽しく拝見致しました。 |
ミッチ 2008/01/31 09:26 |
HIDAMARIさんミッチさんいつもコメントありがとうございます |
naojiro 2008/01/31 22:42 |
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